2015年の大河ドラマに井上真央、吉田松陰の妹とは?

著者: / 2013年11月16日


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2015年のNHK大河ドラマに女優・井上真央が主演として内定したと一部メディアが報じている。井上が演じるのは、幕末期に活躍した吉田松陰の妹であり、松嶋菜々子や宮崎あおい、上野樹里、綾瀬はるかなどに続いて女性主人公を演じることとなる。

しかし、「松下村塾」において久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文など維新期に活躍した人物を輩出した松陰の知名度に比して、その妹が注目されたことは全くと言って良いほど存在しない。松陰の妹とはどのような存在だったのだろうか?

 

松陰の妹とは?

松陰には、民治という兄、芳子、寿子、美和子、艶子という4人の妹、敏三郎という弟がいた。この中で井上が演じるのは三女の美和子であり、彼女は、松下村塾の秀才として知られた久坂玄瑞に嫁ぎ、その後は姉の寿子が嫁いでいたものの彼女が早くに亡くなったことから、楫取素彦(かとりもとひこ)の後妻となった。

美和子の姉である長女・芳子は、長州藩士・児玉祐之に嫁いだ。芳子は明治41年発刊の雑誌『日本及日本人』の中で松陰について語っており、その中では彼が獄中から彼女に送った手紙についてや、正直で柔らかいながらも大胆な性格の持ち主であったことなどが回想されている。芳子と児玉の子供である吉田庫三は、松下村塾や二松学舎で学んだ後に学習院で教鞭をとり、鳥取や神奈川などの中学校(現在の高等学校)で校長を歴任した。

次女の寿子は、長州の藩校として名高い明倫館で学び、松陰とも深い交流があった楫取素彦と結婚している。楫取は、維新期において長州藩諸隊の参謀として活躍し、鳥羽・伏見の戦いにも参加している。明治後は、足柄県参事から群馬県令まで努め、明治17年には元老院議官となっている。彼の妻であった寿子が早くに亡くなったことで、美和子と再婚をしているのである。

はじめ文と名乗っていた美和子は、安政4年(1857年)に高杉晋作と共に「村塾の双璧」と呼ばれていた久坂玄瑞のもとへ嫁いでいた。しかし、元治元年(1864年)に禁門の変(蛤御門の変)によって玄瑞が命を落とすと、若くして文は未亡人となる。長きにわたって再婚をしなかった文だが、最終的に姉が亡くなった2年後の明治16年に楫取と再婚を果たす。

 

この3人を見た時に、文のみが幕末から明治期にかけて生きていることが分かる。現在の大河ドラマである「八重の桜」の主人公も、幕末の会津藩時代から昭和初期にかけて活躍したことから、その周囲に登場する藩士や志士たちが長期スパンで描かれているが、松陰の妹である文についてもこうした手法を用いることで、松陰の教えを受けた高杉や木戸孝允、伊藤博文、山県有朋らを描くのだろうか。

 

 

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