石田 健

石田 健

本誌編集長。1989年生まれ、早稲田大学文学部で歴史学を専攻した後に、同大政治学研究科修士課程修了(政治学)。 株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。Twitter : @ishiken_bot

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本誌のモットーは「世界を世界に説明する」という言葉だが、これはフランスの歴史家であるリュシアン・フェーヴルから借りてきた言葉だ。アナール学派の潮流を生み出した偉大な歴史家の言葉を持ってきて、「世界を世界に説明する」などとはずいぶん大きく出たものが、ところで一体わたしたちはどのように世界を世界に説明するのだろうか?

 

東京都知事選挙とACミラン

先日の東京都知事選挙では、多くの有権者やマスメディアが「世界を世界に説明する」ことを試みていた。普段、政治に関心が無い人でも選挙の前後ではちょっとした政治評論家になり、なぜある候補が勝利し、ある候補が敗北したのかを語っているのを目にしただろう。その意味では、多くの人がリュシアン・フェーヴルであり、世界を世界に説明したいという欲望は多くの人に共通していると言えるかもしれない。

選挙ではなくとも、例えばスポーツやウェブサービスの未来については、多くの人が世界を世界に説明したがる。「本田はACミランで活躍できるか?」といった未来予測だけではなく、「なぜ今年のジャイアンツは日本一になれなかったのか?」といった議論は、居酒屋で気軽に多くの人が参加できるトピックの一つだろう。そして、今回の選挙であれば脱原発を唱える陣営は、「なぜ脱原発が都民に広がらなかったのか」を一生懸命説明し、ネットの力を使った選挙戦をおこなった陣営(の周囲)は「なぜ若者が政治から無視されているのか」を盛んに議論していた。

このように見てみると、多くの事象には多くの説明がつきものだ。あたかも、事象の数だけ説明が存在するかの様に見える。いや、むしろ1つの事象に説明が複数存在することはしばしばあるので、説明というのは事象の数よりも多いのだろう。しかし、そのように考えると「正しい説明」というのは存在するのだろうか?単に、居酒屋で本田圭佑のスゴさを説明することと、「世界を世界に説明する」ことというのはどのように違うのだろうか?

(ちなみに「どうやって」世界を世界に説明するのかということを丁寧に説明するならば、因果的(記述的)推論をおこなう上での様々な議論について検討するべきだろうが、ここではそうした内容を扱うわけではない。)

 

正しい説明は存在するのか?

例えば、東京都知事選挙に出馬し落選した細川護熙元首相は、選挙戦後に以下の様に分析している。

脱原発が争点にならず、なかなかとり上げられなかった。脱原発を争点にさせまいとする、そういう力が働いた。1

敗北した要因は「脱原発が争点にならなかったこと」であるが、その原因を脱原発を争点にさせないための「力」が働いたためであるとしている。つまり、細川氏の説明では有権者である都民が、ある「力」によって意思決定を左右されたからであり、敗北の要因はこの得体の知れない「力」ということになる。
一方で細川候補を応援していた小泉純一郎元首相は、Twitterで以下の様に述べている。

ここでも、街頭演説の盛り上がりに比して世論調査の結果が1位ではないことに疑義が呈されていることから、得体の知れない「力」が働いているような説明がされている。
では、勝者となった舛添要一氏はどのような分析を行っているのだろうか?同氏は、自らの勝因について以下の様に述べている。

ひたすら政策を訴え、最も有権者と対話したことに尽きる。東京を世界一の街にしたい。何より五輪の成功を確実にやりたい。原発は依存体制を減らすのが重要だ。2

舛添氏の発言からは、政策と有権者との対話が勝因であるという分析が見て取れ、得体の知れない「力」については言及されていない。
ここからも分かる様に、それぞれの候補が各々の説明を展開しており、これでは「なぜある候補が勝利し、ある候補が敗北した」のかということが十分に説明されているとは言えない。むしろ、細川氏の説明では、まるで有権者たる都民が選挙では意思決定する能力がなかった(あるいは奪われた)かのように説明されており、舛添氏が勝因として述べる「有権者との対話」とはまるで真逆の説明であるかのように聞こえる。

 

説明と物語

両者の説明は、「事実を説明している」というよりも各々の物語を語っている様に見える。例えば、細川氏が主張する「見えない力」の存在は、それが見えないものであるために、誰も存在を証明することも否定することも出来ない。これはどのような「力」かは明言されていないが、有権者の意思決定を阻むために「脱原発を争点にしてはいけない」という通達がマスコミに周り、それによって印象操作がおこなわれていたというストーリーなのだろうか?もしそうであるならば、それが成り立つためには、

①本当に通達があったのか
②通達があったならば、なぜマスコミはその通達に従うインセンティブがあるのか
③もし印象操作がおこなわれたとすれば、有権者個人の意思決定はそれにすべて依存するのか
④印象操作の影響を受けた有権者がいたとすれば、なぜ彼らは舛添氏に投票したのか

など様々な疑問点をクリアする必要がある。少なくとも①が明らかになっていなければ、このストーリーよりも妥当な説明を支持することが自然であろう。
一方で、舛添氏の説明はどうだろうか?たとえば毎日新聞は、舛添氏について

最終的に「勝てる候補」として自民都連と、協調関係にある公明都本部、さらに連合東京が推薦を決定。舛添氏は選挙公約も自民と協議した上で発表し、組織戦で終始優位を保った。3

と述べているが、これは政策の訴えと有権者との対話によって勝利したと述べている同氏の説明と異なる。舛添氏が述べる通り「有権者との対話」によって勝利したならば、それが決定づけられたのは「舛添氏が都知事選挙における公約を発表して以降」だが、自民都連などはあらかじめ同氏を「勝てる候補」だと目していたということになるからだ。
ざっと両者の主張を見ても分かる様に、当事者同士であっても選挙の勝敗についての説明は一貫していないのである。

 

“正しい”説明

では、これほどまでにバラバラな「説明」が存在するのであれば、正しい説明を求めることは無理なのだろうか?そんなことはない。それは、鍵括弧付きではあるが「限りなく妥当な説明」、分かりやすく言うために「“正しい”説明」と表現できるならば、それは決して不可能ではないだろう。

「“正しい”説明」の第一歩、それは「事実やデータに基づいた」説明であるということだ。もちろん、「事実やデータに基づいた」ものならばすべて「正しい説明」であるというわけではないが、より良い説明に近づくことは可能だ。例えば、東京都知事選挙における説明ならば、世論調査は重要な指標となる。専門家が分析をかけるような選挙や投票についてのデータは複雑に見えるかもしれないが、マスメディアで掲載されるようなシンプルな世論調査であっても「ざっくりと」理解するには十分に有益な材料だろう。

例えば、毎日新聞が選挙前の1月23・24日におこなった世論調査では、すでに「元厚生労働相の舛添要一氏(65)が先行」していることが報じられている。4ここでは、「舛添氏は高い知名度で幅広い年代から支持を集めており、特に50代以上で強さを見せている。支援する自民、公明の支持層で人気が高く、維新支持層にも浸透している。」としており、事前に自民都連などが同氏を「勝てる候補」だと考えていたことを裏付けている。また、この調査では選挙戦の争点についても「少子高齢化や福祉」を挙げた有権者が全体の26.8%でトップ、「景気と雇用」が23.0%と続き、主要候補の主張が対立している「原発・エネルギー問題」は3番目の18.5%であることが示されており、公示日である23日時点ですでに「脱原発」が3番目の争点に過ぎないことも示されている。

また、その前後におこなわれた朝日新聞5や読売新聞6、産経新聞7の調査結果もそれぞれ同様の結果を示しており、少なくとも公示日の直後には(得体の知れない「力」があろうが無かろうが)最大の争点は原発ではなかったこと、すでに舛添氏が選挙序盤から支持を集めていたことなどが事実として分かる。もちろん、その時点では投票先を決めていない有権者が多数存在していたことも報じられており、例えば舛添氏が「有権者との対話」によってこれらの票を獲得したのか、あるいはその票を逃しながらも勝利を収めたのかは、上に挙げた報道だけでは分からない。しかし、こうした報道内容だけではなく、より詳細な調査や通時的なデータなどを用いれば「“正しい”説明」へと近づいていくことはできるだろう。

実際には、説明の仕方にも様々な方法がある。統計を使うものから、数理モデルを使うもの、そして、歴史的な記述によって説明をおこなうもの。それぞれにメリット・デメリットがあり、専門家は日夜これらの方法についての妥当性についても議論しているので、ここでは深く立ち入らないが、大事なことはやはり「事実やデータに基づいた」議論をするということとなる。もちろん、事実やデータが間違っていることや、後からより妥当な仮説が生まれることもあり「完璧な」説明が存在していると述べることは厳密には適切ではない。しかし、その時点での「最も妥当な説明」は存在するし、ある仮説が「事実やデータ」に基づいていることは、その議論を前に進める上で重要なポイントであることは疑いないだろう。

 

マスコミは嘘をついている?

ところで、こうした話につきものなのは、「マスコミは嘘をついている」という言説だ。細川氏や小泉氏の発言は、そうであると言い切っている訳ではないが、近しいことを示唆している点では共通している。また、実際に以下のような週刊誌の記述も見られた。

街頭での集客力に限れば、「細川・小泉劇場」の圧勝なのである。なぜ、それが数字に結びつかないのか。細川氏への応援を表明した作詞家のなかにし礼氏は31日、こう不信感を露(あらわ)にした。「マスコミに対して、大変、自民党からの圧力が強いと聞いている。池袋駅前の細川氏の演説に集まった1万の聴衆を前に、ある記者は『300人は集まっていますかね』と言ったらしい」8

事実やデータに基づいた議論をおこなうといっても、我々の前に提供されるデータが間違っているという指摘は、ネットなどでもしばしば見られる。こうした俗説には専門家が明確な否定を行っているために、こちらこちらを参考にしてほしいが、共通しているのは大手メディアがおこなう世論調査に対して投げかけられる一般的な批判のほとんどが的を外しており、そもそも多数の人がかかわる世論調査などで操作がおこなわれる理由も無ければ、現実的にも困難であるという点だ。

もちろん、マスメディアの報道がなんらかの圧力に晒されている可能性も100%ゼロではないかもしれない。しかし、それが誰も証明できない情報のまま噂話のように飛び交い、そして有権者の意思決定がこうした見えざる力に踊らされていると言うならば、それは陰謀論の域を脱しない。各社が提示する社説のように、それぞれの「色」が出るものも存在するが、世論調査などデータや数値が問題なるものであれば、それを読み説く側の能力こそが問題になると言えるだろう。自分以外は非合理的な選択をしており、正しい情報が認識できていないという前提を置くことは、別に自分を初歩的なゲーム理論のプレーヤーだと仮定せずとも、あまりにも「非合理的」ではないだろうか。

「マスコミや官僚は、ズルをする」という物語は、しばしば印象論を元に語られる俗説であり、こちらも「事実やデータに基づいた」議論をすることが大事であることは確かだ。問題が解決されないことを彼らのせいにするのは容易だが、それはより重大な問題を見逃すことにつながりかねない。

 

若者は選挙に関心が無く、右傾化している?

さて、なんだか「事実やデータに基づいた」説明が大事だ、というのはツマラナイ結論に見えるだろうか。たしかに、なんの変哲もない当たり前のことの様に聞こえるが、それは意外に難しい。例えば、先ほどの候補者の勝因や敗因は、「○○ではない」ということはなんとなく想像がつきそうだが、意外に「じゃあ、これが原因だ!」というものを特定することは難しい。今回の選挙日には東京に記録的な雪が降ったが、これがどのような影響を与えたのか、あるいはどんな地域でどのように作用したのかなど、この問題を正確に検討するならば専門家の分析を待ちたい。しかし、だからこそ選挙後に駆け巡る多くの言説に惑わされないことも十分に大切なのだ。

印象論で語られるような問題は世の中に数多くあり、これは選挙期間中にしばしば話題に上る「若者」についても言える。例えば、インターネットを中心に話題になった家入かずま候補は、Twitterで以下の様に述べている。

同氏の様に、自らを若い世代と位置づけ、その声が聞かれてこなかったと訴える言説は珍しいものではない。「若者は選挙に無関心である」や「若者は無視されている」という指摘は、若者の投票率が低いこととそれらを因果関係として結びつけようとしている点で表裏一体にある。ところが、一方で聞かれるのは「若者の右傾化」という言説だ。例えば、選挙後の朝日新聞は元航空幕僚長の田母神俊雄氏について、

支持は若い世代に広がり、田母神氏も秋葉原や渋谷、原宿など、若者が多い街で演説を重ねた。この日、「ネットでは相当支持された。若い人からある程度の支持を得ていたと思う」と振り返った。9

と述べている。現在のところ田母神氏への投票については、出口調査での年代別の投票先が参照されており、投票に参加した人々のデータを見て「支持が若い世代に広がっている」と述べるには、「事実やデータに基づいた」議論の上でも留意が必要であろう。そして、家入氏が以下で述べている様に、若い世代が政治に参加することで政治に変化が起きるならば、そこで想定されている若者とは保守層なのだろうか、あるいは異なる層なのだろうか。

家入氏は、自らを「左寄り・新自由主義・小さな政府」といったレッテルには規定されないものであり、「参加型の政治をつくりたい」と述べているが、若者は候補者の提示する争点ではない別の何かによって候補者の選択をおこなうと想定されているのだろうか?もし、そうであるならばそれはそれで興味深い想定であるが、いずれにしても同氏が述べる「若者の政治参加」とは明確な概念ではなさそうだ。

 

説明することの役割

曖昧な概念や、それに基づいた論調が一人歩きすることで、肝心な政策についての議論が深まらないことは大きな問題だろう。「反原発を阻む力が働いた」や「若者が参加することで政治は変わる」といった文言は、選挙運動のキャッチフレーズとしては有益かもしれないが、それが起きている事象を正確に言い表したものではない可能性に注意する必要がある。こうした論調に惑わされて、運動が望ましくない方向へ向かったり、的外れな議論が繰り返される危険性すらある。

何かを説明することは、常に後出しジャンケンに見えるかもしれない。選挙戦の候補者らは、自らの政策を掲げて矢面に立って戦っており、そのキャッチフレーズや敗戦の弁をあげつらうことに気持ち悪さを感じることもあるかもしれない。しかしながら、妥当な説明を模索していくことは、次の選挙において有権者にとっては新たな候補者を選択する材料になるし、候補者にとってもより良い政策や戦略を描くための重要な情報となる。わたしたちは、あらかじめ選好が定まっており、それが決して動かないわけではない。むしろ、他人の意見を聞いて議論を展開する中で、それは変化し、影響し合うことになるだろう。このプロセスにおいて、自分以外の有権者がどのような観点から候補者を選択し、どんな行動を取ったのかを知ることは非常に大切だ。

「世界を世界に説明する」というのは随分大それた目標に見える。しかし、それはちょっとした態度の問題なのかもしれない。多くの人が「世界を世界に説明する」ことを好んでいるならば、何かのタイミングで私たちが「妥当な説明」をおこなう上での大事なポイントを思い出すことは、社会をより良い方向へ進める第一歩になる可能性がある。最近のデモなどを見ても分かる様に、時折やってくる選挙結果自体が民主主義そのものではないことは少しずつ理解され始めている。そうであるならば、小さいながらも「世界を世界に説明する」ことで議論を起こし、より良い政策につなげることもまた、選挙後から始められる民主主義のプロセスなのかもしれない。

 

Photo : www.alsatica.eu

 

  1. http://www.asahi.com/articles/ASG296WKZG29UEHF00P.html []
  2. http://senkyo.mainichi.jp/news/20140210ddm001010220000c.html []
  3. http://senkyo.mainichi.jp/news/20140210ddm001010220000c.html []
  4. http://mainichi.jp/select/news/20140125k0000m010082000c.html []
  5. http://www.asahi.com/articles/ASG1T538HG1TUTIL00T.html []
  6. http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20140201-OYT1T01224.htm []
  7. http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140124/elc14012422070004-n1.htm []
  8. http://dot.asahi.com/wa/2014020500005.html []
  9. http://www.asahi.com/articles/ASG296VHBG29UTIL03X.html []
石田 健

石田 健

本誌編集長。1989年生まれ、早稲田大学文学部で歴史学を専攻した後に、同大政治学研究科修士課程修了(政治学)。 株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。Twitter : @ishiken_bot