石田 健

石田 健

株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。1989年生まれ、早稲田大学政治学研究科修士課程修了(政治学)。 株式会社マイナースタジオを創業後に、同社を株式会社メンバーズ(東証二部)に売却。Twitter : @ishiken_bot

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自民・公明両党と日本維新の会は、特定秘密保護法案について修正案で合意したことから、与党は26日に法案を通過させる方針を決定した。これにより特定秘密保護法は、今国会で成立することがほぼ確実となった。多くの世論調査では、国民の大半が慎重な審議を求めており,法案自体に反対する声も少なくない。こうした中で、当初は法案に反対していた維新もあっという間に合意へと至り、橋本代表は以下のように述べていた。

こういう法案が嫌だったら、こういう法案を変える政権を国民がつくったらいいだけの話。それが民主主義なんでね。いまは自民党と公明党が圧倒的な国民の支持の中で進めている。こういう法案ができるのは、ある意味、国民の責任でもある。

メディアがこれだけ大騒ぎしたって何も変わらない。民主党のように反対案を唱えているだけでは何も変わらない。これが政治なんでねえ。少しでも変えさせるっていうことが野党の使命だと思う。非常に不本意であったとしても。1

果たして、これが「民主主義」だったのだろうか?

 

「知る権利」のみが争点か?

今回の秘密保護法については、多くのメディアが国民の「知る権利」が失われることに危機感を抱いた論調で反対している。もちろん、国民が政治的意思決定に関与していく上で知る権利は不可欠なものだが、問題はこればかりではないだろう。例えば、以前に「特定秘密保護法案に対する歴史学関係者の緊急声明」がchange.orgに登場したことをお伝えしたが、この中で第一にあげられている危惧として

「特定秘密」に指定された文書が、各機関での保管期限満了後に国立公文書館などに移管されて公開されることが担保されておらず、歴史の真実を探求する歴史学研究が妨げられる恐れが強いこと。

という問題がある。たしかに、国防や当該問題に関係する当事者の安全などのために特定の文書を一定期間、公開しないことが求められる局面もあるだろうが、一方でその条件としては当該文書が「公開されるべき時期に、適切な方法で」明らかになることが必要不可欠だ。

このことは、ある問題が過ぎ去ったと思われても、それを忘却するのではなく、粘り強く事実を追い求めて長期的に政治のチェック機能を果たしていく態度が報道機関にも求められることを意味するが、一方でそれは「知る権利」ばかりではなく、報道機関が持ち得る最も大きな力の内の1つであり、こうした問題にフォーカスすることも必要だろう。つまり、法案への賛成・反対という問題ばかりではなく、60年という期限の問題や、公開後に歴史的史料としての文書を適切に調査・分析できる環境が整っているのかという観点から異議申し立てをおこなうことも重要なのだ。

 

事実へのアクセス

民主主義とは何かという深遠な問題は、多くの顕学によって様々な議論がされてきたが、少なくともここで言えるのは、それが短期的な政局によって全てが決定されるほど弱々しい制度ではないということだ。現在、自民党や公明党が大多数を占めているからと言って、彼らの決定が未来永劫影響を及ぼす訳ではないし、こうした点に永続的な異議申し立てをおこなうことが可能であり、またそれが大きな力を持ち得ることこそ、民主主義の最も効果的な側面の1つと言えるかもしれない。

しかし、そのためには国民や報道機関がその恩恵を十分に活用することも必要不可欠だ。その1つのあり方として、「知る権利」が失われたと直ぐさま嘆くのではなく、我々が「いつどのような形で事実にアクセスできるのか」という問題を新たに具体的に立てていくことが肝要だ。そのために、例えば日本の公文書館の制度や機能、そして予算などの問題によりフォーカスすることも大切だろう。

現在、話題となっている「慰安婦」問題についても、もし「事実」という論点にフォーカスすることも大事なのだとすれば(もちろん論点は「事実か否か」ということだけではない)、それには歴史的史料を十分に検討し、それに基づいた議論がなされることが大前提だ。史料調査を十分におこなわないまま、「そんな事実は無い」「ねつ造だ」という安易な言説を唱えることは、学問的に誠実な態度とは言えないだろう。

 

情報公開、アーカイブ

その意味で、歴史学の重要性がこれほどまでに高まっている時期は珍しいのかもしれない。しかし、こうした点を忘れて秘密保護法が単に「成立してしまった、やはり政治は信用ならない」という帰結のみを生み出してしまうならば、それは一層危険な事態を生み出してしまうだろう。

世界では、情報公開法のあり方などが少しずつ変化している。アーカイブの充実やデジタル化、それを担保する人員や予算についてなど具体的な議論がおこなわれ、例えばアメリカ国立公文書記録管理局(NARA)を中心として各大統領図書館などを擁するアメリカは、9.11後における国家機密の拡大やNSAの問題などがありつつも、情報公開のあり方が包括的に議論されている。

そのアメリカでは、例えば機密資料は行政命令第12958号により発行から25年後に審査を経て一般公開されることとなっている。また、25年より前であっても非公開資料の閲覧請求があればCIAや国家安全保障問題担当大統領補佐官、そしてNARAの代表者らから成る委員会で審議された上で、場合によっては公開される。この委員会のメンバーにNSAの補佐官が加わっていることを考えると、先に創設が決まった日本版NSAについても、秘密保護法との関係からより詳細な議論がされる必要があったはずだ。

 

今後も多くの問題が

以上のことから、成立が確実視されている秘密保護法について、自公を選んだ国民の責任に帰すことで、それを諦めたり、あるいは「やはり政治家は国民の意向を無視して」という議論を立てることはそれほど適切ではない。むしろ、この法案が成立したとしても我々が声を上げるべき問題は山ほど有り、公文書やアーカイブの問題は、情報公開に関する具体的な手続きについて議論を進める最も重要な議題の1つだろう。

そして、新たな機能や制度が生み出されたならば国民や報道機関が十分にそれを活用することも求められる。報道機関にとっては、「知る権利」という問題ばかりにフォーカスするのではなく、実際にアーカイブの史料などを用いて、過去の政治における問題を具体的に暴いていくことで、一定期間後に情報が公開されることの意義や歴史的史料の価値を示していくことを主張できるかもしれない。

その意味で、今国会で同法案が成立したとしても、それは国民が何も出来ないということを意味しているのではない。むしろ、それ以降も我々がこの問題に関心を持つことが出来るかどうかという点こそが、これからの情報公開を占う試金石になるのかもしれない。

 

 

 

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  1. http://digital.asahi.com/articles/OSK201311210130.html []