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「正常」と「異常」についての一考 ―「世界で最も醜い女性」ジュリア・パストラーナを例に

編集部注:本稿は、大学院で表象文化論とジェンダー論を専攻する著者による寄稿である。「フリーク」は聞き慣れない言葉かも知れないが、「正常」や「異常」、そして他者について考える上で、非常に興味深い話を紹介してくれている。

2013年2月12日、一人の女性が死後約150年を経て生まれ故郷のメキシコの地に眠 った、というニュースがあったことをご存知だろうか。彼女の名前はジュリア・パストラーナ。「世界で最も醜い女性」として知られ、米国や 欧州で見世物とされてきた彼女は、その見た目の「異形―異常性」によって生涯、そして 死後に至ってもなお暴利を貪り続けられたフリーク(過剰、不足、複合といった異形、畸形の身体を持つ人間、畸形)である。

彼女にまつわる物語をもとに、我々が「当たり前」だと思っている感覚に関してひとつ、考えてみたいと思う。

ジュリア・パストラーナの生涯

1834年にメキシコで生まれたとされているジュリアは、成長するとともに顔は厚い毛で 覆われ、分厚い唇、広く扁平な鼻、巨大な耳といった顔面畸形化が進んでいた(後に、稀 な遺伝的障害である先天性終毛性多毛症と歯肉増殖症の常染色体優性症候群であった可能性が高いと診断されている)。

1854年に「驚異の間の子、すなわち熊女」というキャッチフレーズのもと、アメリカを巡業することになる。1857年にはイギリスの首都・ロンドンで「得体の知れぬ存在」として紹介され、こ の頃ジュリアの新しい興行主となったセオドア・レント氏は、多くの日刊新聞に広告を打ち、彼女の魅力を謳ったという。

彼女はその見かけだけが「異常」ということだけで、性格は非常に社交的で穏やかで、 声は甘く、趣味は音楽とダンス。母国語の他にも英語やスペイン語を操り、家事も得意だ ったようだ。

博物学者で彼女と親しく歓談したことのあるフランク・バックランド氏も、「額に生える毛髪の量、及びその黒い顎髭に関しては、まことに恐るべきものである。だが彼女の身 体は、非常に美しくまた優雅で、その小さな足と形の良い踝は、と相俟って、完璧であった。」と随筆に残している。興行主のレント氏も、「模範的な畸形者、観衆の前できち んと振る舞うことのできる、躾の行き届いた怪物」と見倣わしていたようだ。

たちまち人気者となったジュリアに、契約を結びたいという興行師やサーカスの支配人たちが殺到した。そしてそれだけに留まらず、プロポーズを申し込む男性たちも後を絶たなかったという。これをかわすためにレント氏は彼女と結婚、彼女を手放さないようにし た。「妻」となったジュリアであるが、それでもなお「見世物」として各地をまわった。

1859年末にロシアの首都・モスクワを訪れた先で妊娠していることが発覚し、1860年 に子供(彼女と同じ多毛症であった)を出産した。しかし、無酸素症により35時間後に死 亡、錯乱したジュリアもまた出産の5日後に息を引き取った。彼女は最期にこんな言葉を 残している。

「私は幸福の内に死にます。私は十分に愛されていましたから」

「見世物」から逃れられない運命とその果て

ジュリアとその子供が亡くなった後、レント氏はモスクワ大のスコロフ教授に売りつ け、二人に防腐処置を施し、解剖博物館に安置した。それが皮肉にも人気の高い見世物と なってしまい、レント氏はこれらを手元に引き戻した。ジュリアの「第二の巡業」が始ま ったのである。

レント氏はジュリアの死後、同じような多毛症の女性と結婚、ジュリアの妹「ゼノラ ・パストラーナ嬢」と命名し、二人と「二体」による巡業を行った。彼らの引退後、ロシ アのサンクトペテルブルクに移住、そこのプロイシャー博物館に二体のミイラを貸与し続 けた。1884年、レント氏が「急性の脳の衰弱」に襲われ、ロシアの精神病院に収容された 後、ゼノラがミイラを引き取り、1888年、自身と二体のミイラをミュンヘン人類学教会で 公開した。その翌年、ゼノラはJ・B・ガスナーというドイツ人興行師にミイラを譲り渡し た。その後、二体のミイラは再び各地を転々とすることになる。

1975年、ノルウェー内務省が法律に基づいてミイラの一般公開が禁止され、没収される。これを限りに母子の長い旅は終わった、かのように思われた。この翌年、保管されて いた野外市に賊が押し入り、子供のミイラは破壊され捨てられてしまった。以後、彼女の ミイラは巨大なヴァンのガラス・ケージに収められたが、1979年に再び賊に襲われ、以降 彼女のミイラは行方不明となってしまった。

そして1990年、オスロ国立病院の法医学研究所の地下に現存しているというスクープが 掲載され、彼女のミイラの無事が確認された。しかし、その後長い間彼女のミイラをどう するべきかの論議が幾度と無くなされ、やっと今年、メキシコ・シナロア州のマリオ・ロ ペス知事の働きかけによって帰郷が実現したのである。

「正常」と「異常」、「幸せ」と「不幸せ」とは

ジュリア・パストラーナのように、生きている間だけでなく死後に至ってもなお「見世 物」であり続けた存在は他に例を見ない、「不運な女性」であったと表現される。 しかし、彼女自身は「幸福」という言葉を最期に残している。それは何故か。彼女はい わゆる「女性の幸せ」とされている「結婚」「妊娠」「出産」を経験し、生涯を終えてい る。フリークは、その見た目の「異常性」に特化され、ほとんど性に関して触れられるこ とがない。

しかし彼女の場合、妊娠して出産もしているという点で生殖機能は正常であ ったことが分かる。そう、彼女も「我々」と同じ人間から生まれた「人間」であり、「女 性」だったのである。その役割を全うした彼女の人生を、果たして「不運、不幸」という 言葉で括れるのであろうか。

一方、彼女の夫であり興行主のレント氏はどうだろうか。妻を生前だけでなく死後もミ イラにして「見世物」にし、同じような多毛症の女性と再婚をしてその女性もまた「見 世物」にした。ミュンヘンの人類学者たちは、彼を「eine ganz eigenartige Vorliebe für solch haaige Shönen[このような毛深い美女たちに対する極めて特異な趣味嗜好]」と論 評している(もちろん、レント氏の一連の行動が「異常」であると断言するわけではない が、少なからず筆者の目からは「常軌を逸したもの」であるようにみえるということに留 意してほしい)。裕福な男になった彼は、興行主を引退した後に「急性の脳の衰弱」のた め精神病院に収容され、息を引き取った。そんな彼は「幸せ」だったと言い切れるのであろうか。

見た目が「正常」であるなら中身も「正常」であるのか、「異常」であるなら「異常」 であるのか。何をもって「正常」であり「異常」であるのか。そして何をもって「幸せ」 であり「不幸せ」であるのか。当事者でない限りその答えを見出すことは難しいが、ジ ュリア・パストラーナにまつわる物語は、それらを非常に考えさせられるものであろう。

【参考文献】

▶オールティック、R・D『ロンドンの見世物Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』小池滋監訳、国書刊行会、1989年 〜1990年。

▶フィードラー、レスリー『フリークス 秘められた自己の神話とイメージ』伊藤俊治、 旦敬介、大場正明訳、青土社、1988年。

▶ボンデソン、ヤン『陳列棚のフリークス』松田和也訳、青土社、1998年。

興味を持った方はこちらも…

【実在したフリークスの生涯を描いた映画】

▶フェレーリ、マルコ『猿女』La donna scimmia(1964・伊※日本未公開) イタリアの映画監督であるマルコ・フェレーリがジュリア・パストラーナの生涯に基づい て制作した映画(日本では未公開作品なので、観る機会は限られていますが…)。

▶リンチ、デヴィッド『エレファント・マン』The Elephant Man(1980・英=米) アメリカの映画監督であるデヴィッド・リンチが、19世紀のイギリスで「エレファント ・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリック(1862〜1890)の半生を描いたイギリス・ア メリカ合作映画(これはTSUTAYAでも気軽に借りられます)。

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Marie SEKINE

Marie SEKINE

関根麻里恵|1989年生まれ。学習院大学大学院。専門は表象文化論とジェンダー論。現在は、近代において「見世物」にされてきたフリークスに関する表象研究。寄稿論文:「リアルクローズ化する『マンガファッション』」(ファッション批評誌『vanitas』No.002、2013年)/ Google+ : Google