文部科学省「人文学とか役に立たないんだから、その学部いらないっしょ」

KEN ISHIDA

KEN ISHIDA

本誌編集長。1989年生まれ、早稲田大学文学部で歴史学を専攻した後に、同大政治学研究科修士課程修了(政治学)。 株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。 Facebook : Ken Ishida / Twitter : @ishiken_bot

文部科学省は8日、これまでの学部を「社会の要請」にあわせて見直すように、全国の国立大学に対して通知をおこなった。中でも、文学部をはじめとした人文系の学部・大学院について、廃止・配置転換を求める意向だという。

社会に必要ってなに?

こうした文部科学省の方針は、昨日今日に始まったものではないが、今回の通知は全86の国立大学に対して、「社会のニーズに合致した」人材を育てられない学部を廃止・転換することを明確に求めるものであった。

これに対して、ネットなどでは「社会に必要か否か、というのはすぐに判断できない」「誰が必要であるかを判断するのか?」などという反発の声があがっている。

人文系学部の廃止は世界的な潮流?

文科省の方針に反発する声の中には、「欧米ではリベラルアーツが重視されている」というものもあるが、実際にはこうした動きは日本に限らないようだ。

たとえば、2010年に大陸哲学研究で知られるミドルセックス大学哲学科が廃止の危機に瀕した際には、世界中の哲学者らの抗議にもかかわらず、この歴史と権威ある学部は廃止の方向へと進んでいった。

抗議をおこなった哲学者の中には、ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクやジャン=リュック・ナンシー、スラヴォイ・ジジェク、エティエンヌ・バリバール、デヴィッド・ハーヴェイなど世界的な大物哲学者の名前が含まれている。

こうした意味で、「欧米はリベラルアーツを重視している」という批判は一概には言えないようだが、「社会にとって必要であるか否か」という判断を近視眼的にくだすことが困難であることは事実だろう。

一体どうする?

しかし一方で、今後の少子化にともなって大学を襲う財政難に合わせて、どこかの学部を閉鎖しなくてはならない現実は、今後も加速していくだろう。

仮にこの国が、安保関連法案で憲法学者から「違憲だ」という指摘があったにもかかわらず、政治家が「学者はすぐ憲法にこだわる」と反発するような、つまり、学問に対してそれほど敬意を払わない国でなかったとしても、数年後に起きるであろう、大学の財政難に伴う、学部の再編・縮小は避けられないトレンドであるはずだ。

こうしたトレンドを前にして、人文系の価値を認める人間は、「国(役人)は、学問の価値を理解していない」と批判するだけに留まっていて良いのだろうか?(もちろん、そうした人間が “批判するだけ” であると述べたいわけではない)

おそらく、その批判は「学問の価値を理解していない」人々には届かないだろう。むしろ、「学問の価値を理解していない」人々に、その声が届いたとしても、日本が今後直面していく少子化と大学の財政難という不可避の潮流を変えるものには、決してなり得ないだろう。

「学問の価値を理解していない」人々もまた、「学問の価値を理解しつつも、そのトレンドに抗えないことを感じている」人々であるかもしれないのだ。

かつてないほどに哲学的な問いに直面する時代

ミドルセックス大学哲学科廃止に怒りの声を上げたジジェクは、現代を評して「かつてないほどに哲学的な問いに直面する時代」だと言っている。彼の発した文脈とは違えども、人文学の価値を正面から問われている現在、われわれは「かつてないほどに哲学的な問い」に直面しているのかもしれない。

われわれは、その哲学的な、あるいは人文的な方法論を、文科省の役人を批判するために使うべきなのだろうか?逃れられないトレンドに押し流されていく人文系学部の死に際を眺めつつ、国や社会の無理解を批判する以外の道を持っていないのだろうか?

人文系の学部を残すべきだという叫びは、多くの局面で受け入れられない

筆者はそうは思わない。人文系の学問は、国や社会のニーズに答えられないという批判に対して、常に一定の答えを提示し、それはむしろ国や社会の危機にこそ、大きな価値を見出されてきた。その意味で、今回のような文科省の方針に対して、われわれは過度に悲観することはない。

しかしながら、人文系の学問が依拠する経済的基盤は、すでに数年後には、これまでとは全く異なったものになっているだろう。大学のトレンドが逃れられないものである限り、人文系の学部を残すべきだという叫びは、多くの局面で受け入れられないはずだ。

大きな揺さぶりをかけられている

フランスの歴史家マルク・ブロックが「歴史はなんの役に立つの?」という問いに直面した時代よりも、われわれはより一層、その問いかけに大きな揺さぶりをかけられている。それは明らかに、現在が「かつてないほどに哲学的な問いに直面する時代」だということだ。

「社会の要請」といった近視眼的な声に負けずに粛々と研究することこそ、人文学の価値だという声もあるかもしれない。しかしその経済的基盤が揺るがされるのであれば、その研究の幅は狭まっていく。文科省の通知は、その問い掛けが予想外に早く、そしてラディカルに訪れることを静かに、しかし決定的に暗示しているのかもしれない。

新たな空間をつくりだす必要がある

われわれは、大学から人文系学部が消え去る前に、新たな空間をつくりだす必要がある。それはこれまでの、すなわち数世紀に渡って続いてきた、大学というシステムとは全く異なるものになるだろう。

それはコーセラやユーダシティーのようなMOOC(Massive Open Online Course)かもしれないし、全く異なるシステムかもしれない。それは、営利企業かもしれないしNPOかもしれない。そこでは、教育と研究が同時に行われるかもしれないし、完全に切り離されたものとなるかもしれない。

この新たなシステムが生み出される過程では、数多くのトライアンドエラーが繰り返されるだろう。MOOCに懐疑的な目が向けられているように、多くの試みが嘲笑され、批判的な目を向けられるはずだ。しかしこうした犠牲を厭わず、そして既存の大学というシステム・空間に囚われないままに、現実的なオルタナティブを構築出来るのならば、人文学は楽観的な未来を生み出すことができるはずだ。

われわれは、かつてないほどに哲学的な問いに直面する時代に生きているのだ。

Photo : www.flickr.com
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本誌編集長。1989年生まれ、早稲田大学文学部で歴史学を専攻した後に、同大政治学研究科修士課程修了(政治学)。 株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。 Facebook : Ken Ishida / Twitter : @ishiken_bot