「埋葬」という名の経験 – 第一次世界大戦において英国軍は戦死者をどのように扱ったか

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N.N.

都内の大学院にてイギリス近代史学を専攻中。修士課程在学。

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編集部注:本記事は、都内の大学院でイギリス近代史学を専攻する著者による寄稿だ。第一次世界大戦における戦死者の埋葬という興味深いテーマについて紹介してくれた。

 

来年で開戦から100年を迎える第一次世界大戦だが、歴史学では多角的に研究がおこなわれ続けている。ジェンダー・宗教・暴力。このような研究テーマで第一次世界大戦が論じられることは多々ある。だが近年、人類学・考古学分野の研究者との共同研究によって「埋葬」という観点から新しい歴史学研究がおこなわれ始めている。最新の考古学資料と合わせ、手紙や日記、回顧録などから兵士たちがどのように死を受け止め、埋葬をおこなってきたのかが徐々に明らかになってきているのだ。

 

西部戦線における死と埋葬

まず、第一次世界大戦の激戦地、西部戦線の死生観について見ていく。開戦から一年程度は、戦死者が出ると遺体を必ずシーツや毛布で包み、従軍牧師が個々人の功績を読み上げ、その後埋葬がなされた。当時、遺体は埋葬の際には土に触れてはならないという慣習があった。

棺を調達できない戦場で代替としてシーツや毛布が使われたのだが、これらは限られた物資の中でも必需品である。兵士にとって貴重な品を用いてまでも、遺体を埋葬したという事実から、開戦当初より死者を弔う習慣が「重要視」されていたことがわかる。

 

戦争が激化するにつれて

1914年以降、多くの人々の予想に反して戦争が長期化し、兵士たちの死亡率も加速していった。イギリス軍上層部は遺体の個人情報(名前・階級・埋葬日・おおよその死亡場所)を葬儀会社に管理依頼し、遺体処理のシステム化を試みた。

ところが、多くの兵士たちがこれに反発し、死んだ仲間を自らの手で埋葬することを望んだ。考古学者の発掘調査によって、ばらばらになった遺体を集めて埋葬した痕跡や、空の薬莢の中に入れられた木製の十字架が発見された。これは兵士たちに「弔いの感覚」があったこと、また死者のアイデンティティを守るための埋葬方法がおこなわれていたということを示している。

敵兵の遺体も埋葬はされたが、個別埋葬ではなく、古い塹壕を利用しての共同埋葬であった。

 

軍用墓地

戦争の長期化にともない、戦線から離れた場所に軍用墓地が設立されるようになった。この墓地は衛生面という点で有用であったが、兵士たちに死への恐怖を植え付ける表象ともなったのである。

また、軍用墓地設立にともない、ヴィクトリア朝期に発達した葬儀業が戦地にまで介入するようになり、戦線から軍用墓地への遺体の輸送を高額な料金で引き受けた。

 

遺体処理と埋葬

軍上層部による軍用墓地の設立は、死者の埋葬のシステム化を押し進めていったが、それでも変わらず、兵士たちは自らの手で仲間の遺体を埋葬することを望んだ。仲間の手による戦死者の埋葬は「兵士としての地位を守るための重要な儀式」と考えられていたようである。

軍上層部と一般兵士たちとの埋葬への考えは異なっていた。現代にも通じるシステム的埋葬を押し進める軍上層部と、ヴィクトリア朝から続く「個」を尊び、その存在を守るという兵士たちの死者への弔い意識。第一次世界大戦の西部戦線では近代的死生観と現代的死生観が入り交じっていたのである。

 

参考文献

Wilson Ross(2012) The Burial of the Dead: the British Army on the Western Front, 1914‐18. War & Society, Volume 31. pp. 22-41(20)

ドルー・ギルピン ファウスト『戦死とアメリカ―南北戦争 62万人の死の意味』黒沢眞里子訳、彩流社、2010年