who-logo1

新宿・焼身自殺未遂事件を伝えたまとめサイト、バイラルメディア、そしてソーシャルメディア(追記有り)

29日、新宿駅南口である男性が焼身自殺未遂をはかったことがネットで次々と拡散された。TwitterやFacebookには現地に居合わせた人々が写真をアップし、大手メディアが報じるよりも早く情報が広まった。

男性は、自殺を図る直前に集団的自衛権の行使容認に反対する演説をおこなっており、この男性の政治的主張と自殺を関連づけて様々な言説が飛び交った。

すぐに写真がアップされたまとめサイト・バイラルメディア

ソーシャルメディア上に次々と情報がアップされるとともに、すぐにまとめサイトやバイラルメディアが、この自殺についての記事をアップし始めた。それらのタイトルには、【閲覧注意】の文字や「焼身自殺発生!!!!!!!! 」、【ヤバイ】「画像あり」などの文字が踊っており、Twitterなどの画像を次々とまとめては、再びソーシャルメディアで拡散されていた。

伝統メディアである新聞やテレビが大きくこの情報を報じないのとは対照的に、彼らの記事はすぐさま Facebook でのいいね!を獲得し、一次報をこれらのメディアで知った人々も少なくないかもしれない。

ウェルテル効果

本誌もこの情報を手に入れたのは、まだ大手メディアが報道を始める前であった。言うまでもなく、そして誤解を恐れずに言うならば、こうした話題は「数字が稼げやすい」。すぐさま、まとめサイトやバイラルメディアが、これらの記事化に踏み切った背景には、そうした事実を無視することは出来ないだろう。(もちろん、それをセンセーショナルに伝えるのではなく、集団的自衛権の行使容認と絡めることで、抑制した記事を出すことも可能だったのかもしれない。)

しかし、今回この情報についてすぐさま記事を公開することは見送った。その際に頭をよぎったのは、WHOによる『Preventing Suicide  – A Resource for Media Professionals 』と題されたガイドラインだ。これは、1984年から1987年にかけて、オーストリアのウィーンにおいて自殺報道のあり方を変更したことで、自殺減少に繫がったという有名なエピソードを受けて、自殺に関する報道をおこなう上でのルールやガイドラインが制定されていることと関係がある。

自殺がメディアなどで報じられることで模倣を呼ぶことは、ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』の出版以降にヨーロッパで模倣した自殺が相次いだことから「ウェルテル効果」とも呼ばれており、古くからよく知られている。この現象についての科学的な検証についてはここでは触れないが、いずれにしてもWHOはメディア関係者が自殺報道をおこなう際に、慎重を期すことを求めている。

WHOのガイドライン

そのガイドラインでは、自殺について報道を最小限にとどめるべきであり、過剰に取り上げるべきではないことが強調されている。ガイドラインの冒頭に示されたクイック・リファレンスでは「自殺について普遍的なものとして扱った、そして、センセーショナルな扱いをした言葉を避けるべきであり、問題解決の手段として扱ってはならない」と述べられ、「自殺についてのストーリーを繰り返し、過剰に、そして特に目立つ様に掲載するべきではない」などの注意がまとめられている。もちろん、「写真や映像については慎重を期すべき」であることも述べられる。

また、自殺原因を「説明のつかないもの」であったり「単一のストーリー」として描いたり、自殺に至った場所や方法についても触れるべきではないことが細かく説明されている。

このWHOのガイドラインではソーシャルメディアでの拡散やネット時代のメディアのあり方が念頭に置かれている訳ではないが、現在でもメディアに興味を持つ者であればぜひ目を通すべきものだろう。

焼身自殺と政治的抗議

さて、こうしたガイドラインに基づいて情報を伝えたとしても、一方でソーシャルメディアなどでは今回の自殺についてチベットなどで生じる焼身自殺が中国メディアで報じられないことと絡めて、集団的自衛権に関する政治的背景があったためにメディアが報道を抑制したのではないかという声も見られた。

実際に歴史上においても、1963年に仏教僧ティック・クアン・ドックがベトナム政権に対して抗議をおこなって焼身自殺をおこなっており、現在のチベットで共産党政権に対する抗議から、焼身自殺が相次いでいることはよく知られている。

しかし問題は、ここが日本であることと、この男性の意図についてだ。デモや言論の自由が保証されている日本において、政治的主張は自殺などを通じておこなわれるべきではない。(もちろんチベットや当時のベトナムでは、そうあるべきだということでもないし、「民主主義国家」であっても焼身自殺がおこなわれたケースは存在する)そして、この男性について、集団的自衛権の行使容認に反対する演説をおこなったことがそのまま「抗議の自殺」に結びついたというストーリーは、ガイドラインにおいて警鐘を鳴らされていた「単一のストーリー」につながってしまう可能性を秘めているだろう。

その意味で、男性が自殺に至った経緯などが不明瞭なままで、報道が先走ることこそが危険であることは強調することができる。(これについては、石井孝明氏による自殺報道についての論稿が参考になる)

ネット時代のメディアと報道

すでに、この事件については英・BBCなども報じており、集団的自衛権の問題と絡めて注目を集めている。しかし、以上で述べた様にWHOのガイドラインのことを考えるならば、国内メディアがどのように報じるべきかは、慎重に議論されるべきだ。

昨年は、歌手・藤圭子さんの転落死についてメディアがセンセーショナルに報じたことで、WHOガイドラインの存在が広く知られることになった。伝統メディアにおいてこれらが反省されているのか、単に一般人か芸能人かの違いでニュースが選択されているだけなのかは分からないが、少なくとも私たちは改めてこの問題を考える機会に直面しているだろう。

実際問題として、もはやネット時代において伝統メディアがこうしたガイドラインを遵守しても意味は無い。人々は、自殺をはかった男性が燃え上がる様子を写真に撮影し、ソーシャルメディアに次々とアップするし、すぐさまバイラルメディアはそれをまとめる。だからこそ、本誌があたかも慎重で思慮深いメディアであるかの様に振る舞ったとしても、それは単なる自己満足か陳腐なパフォーマンスに過ぎないとも言えるだろう。

本誌もこうした形でこの問題に触れているかぎり、情報の拡散に加担していることは事実だ。

しかし何度も言っている様に、私たちはこの問題を真剣に考える時期に来ているのだ。ネコやセンセーショナルな画像によってPVを稼いで、「価値のある報道をおこなう」という主張は一見すると筋が通っている様に見えるし、意味がある様に見える。しかし、その一線はどこまで引けるのだろうか?この考え方は、どこまで正当化され続けるのだろうか?今回の事件とそれを受けた各種メディアの反応は、改めてそのことを考えるべき契機だったはずだ。

追記:ただし、これは伝統メディアがこの自殺について集団的自衛権と絡めた報道をおこなわなかったこと、自制したことを無批判に擁護するものではない。男性の自殺映像や画像を、センセーショナルに、そして良心の呵責がないままに垂れ流す「バイラルメディア」を糾弾するものだ。1日に閣議決定された集団的自衛権に対する議論や、男性の主張については異なるレベルで慎重におこなう必要がある。

話題のニュースについて話すことができる新サービスTALKS [トークス]がスタート!
ぜひ上のボタンからこの記事についてコメントを残してみましょう。

KEN ISHIDA

KEN ISHIDA

本誌編集長。1989年生まれ、早稲田大学文学部で歴史学を専攻した後に、同大政治学研究科修士課程修了(政治学)。 本誌を運営する株式会社アトコレの代表取締役CEO。専門は国際関係史や日本近現代史だが、本誌ではテクノロジーや経済から国際情勢まで幅広く担当している。MUSEY編集長。 Facebook : Ken Ishida / Google+ : Google / Twitter : @ishiken_bot