いかに野次問題を「品位」「個人のパーソナリティ」「セクハラ」に矮小化させないか

yotube
石田 健

石田 健

株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。同社を創業後、2015年に株式会社メンバーズ(東証一部)に企業売却。早稲田大学政治学研究科修士課程修了(政治学)。

東京都議会において、女性の結婚・出産などに関する支援について質問をおこなった塩村文夏議員に対して、「早く結婚しろ」などと野次が飛んだ問題について、野次を飛ばした1人が都議会自民党・政調会長代行をつとめる鈴木章浩都議であったことがわかった。

この問題をめぐっては、すでに政治家やネット上で様々な指摘が見られたが、野次をおこなった1人が特定されたことで問題が解決した訳ではないことは強調されるべきだろう。

品位のないヤジ

例えば、記者会見において今回の野次について質問された舛添東京都知事は「品位のないヤジは断じて慎むべき」だと指摘している。この発言の背景には、これまでも議員が「野次は議会の華」だと述べたこともあり、「良い野次 / 悪い野次」が存在するという前提が見られる。

すでに本誌では、イギリスの議会における野次についてお伝えしたが、ここでは「野次は議会の華か?」「良い野次と悪い野次があるのか?」という問題には立ち入らない。(もちろん、議会においては品位が保たれるべきか?という問題や、ここで定義される品位とは何か?という問題は、別のレベルで議論をするべき重要な問題ではあるが)

ここで言えることは、今回問題となるべきは「野次の品位」ではないということだ。もし仮に、「野次に品位がない」ことが問題であれば、おそらくその解決策は「品位を保ちましょう」という程度になるだろう。しかし、この問題を「品位の問題」にまで矮小化することは、これらの言説を根本的に検討する契機にはならないだろう。

個人の経歴とパーソナリティ

また、ネット上では塩村議員の個人的経歴に言及する言説も見られる。こちらは「野次は良くない」という前提のもとで、塩村議員がテレビ番組『恋のから騒ぎ』などに主演していたことを指摘し、同議員の品格や資質について疑義を投げかけるないようになっている。

この言説においては、野次の問題と塩村議員個人の問題は切り離すべきだと繰り返し述べられているが、ここで述べられている、「個人のパーソナリティと発言の問題は切り離す必要がある」という重大なポイントについては、何度も繰り返しても足りないほどだろう。

実際に、この言説は「問題とパーソナリティを切り離すべき」だと述べつつも、結果的に塩村議員のパーソナリティを紹介することで、読み手に登場人物のキャラクターを強烈に印象づけているという意味で、強い機能を果たしている。ある問題の被害者と加害者という区分が存在したときに、その被害者のパーソナリティを切り離して、言説それ自身がはらむ問題を突きつけることが非常に困難であることを再認識する必要があるだろう。

セクハラ?

またメディアにおいて、当たり前のように使われている「セクハラ」という問題化についても、改めて問題化する必要があるかもしれない。

この問題を「鈴木議員のセクハラ発言である」として問題化した場合、それは「セクハラをおこなった個別の議員を特定して処分を検討するべき」という結論に至るだろう。しかし、そのことはいずれにしても一連の問題を「塩村議員と鈴木議員をめぐる特定の問題」へと限定させる可能性がある。

これはもちろん、「セクハラ」の定義を議論する必要もあり、「日本社会におけるセクハラ」についてを視野に入れることもできる問題だとすることも可能だが、「セクハラをおこなった議員を探し出す必要がある」というような問題の立て方をおこなうべきではない。

いずれにしても、この問題を「野次の品位」や「個人のパーソナリティ」、そして「個人のセクハラ発言」へと限定することは、その背後にあるいくつかの大きな課題を隠す可能性がある。

「早く結婚していただきたい」

この問題が示す大きな課題とは何だろうか?それは大きく分けて3つある。

1つは、鈴木議員が記者会見において「少子化、晩婚化の中で、早く結婚していただきたいという思いがある中で、あのような発言になってしまった」と述べたことにも見られるような、結婚や少子化・晩婚化に対する認識だ。これは驚くべきことに、謝罪をおこなった会見で鈴木議員が述べた発言だ。

本当に鈴木議員がそう思っていたにせよ、少なくとも謝罪をおこなう会見においては、より適切な言葉が選択される。しかし、同議員はあたかも「塩村議員のことを思って言った」かのように、この弁明をおこなっている。このことは、「早く結婚しろ」が本音であること以上に、「女性に早く子供を産んでいただきたい」という問題を数多く含んでいる言説が建前として機能すると考えている鈴木議員の思考が垣間見える。

多くの政治家が、結婚や出産、そして女性の地位向上や社会進出の問題に取り組むと述べながらも、こうした認識にあることがはからずとも示されてしまった。これは、決して特定の政治家や個人に還元される問題ではなく、女性の活躍する社会を目指す安倍政権、そして日本社会全体がより広範な課題を抱えていることを思い起こさせる。

国家はどこまで介入するべきか?

加えて、「早く結婚していただきたい」という鈴木議員のあまりにも“余計なお世話”的な発言を大まじめに考えるならば、国家や政府は、個人の結婚・出産に対してどの程度まで介入するべきか?という問題もある。

個人の自由と、国家がそこに介入する線引きの問題は、例えばジャック・ドンズロが『家族に介入する社会』の中で述べたように、ルイ・アルチュセールが国家の機能として問題化したように、近代社会や国家との関連の中で盛んに論じられてきた。少子化が経済成長の問題として捉えられ、議論される中、社会はわれわれ個人にどこまで「結婚・出産」を求めてくるのだろうか?それはどこまで許容されることなのだろうか?

もちろん、鈴木議員が「議員」であるだけではなく、「女性に結婚を求める男性」であることを考えるならば、この問題が「性差別」のレベルを超えて、「男性的なもの」を背後に抱えた「国家」の介入という格好な事例として議論されることも可能だろう。

表現の自由と罰則

そして最後に、もしこの問題の中から、「品位の問題」を取り出すならば、それは「公の場において、どこまでが“許される発言”であり、どこからは罰せられるべきなのだろうか?」という原理的な問いかけを取り出すことも可能かもしれない。

先ほど本稿では、この問題を品位の問題にしてはならないと指摘したが、鈴木議員への処分が議論され始めた現在においては、こうした問いかけも有用だろう。

つまり、女性に対して「早く結婚しろ」と野次を飛ばすことの倫理的問題や社会構造の問題を脇に置いた場合、それは言論の自由との関係から考えて、どこまでが罰せられるものであり、罰せられるとすればどのように罪の重さが規定されるべきなのだろうか?今回のケースであれば、鈴木議員は社会的制裁を受けたと言えるが、一方で議員辞職を求める声もある。

この問題は、今回においては決して中心的な争点ではないだろうが、昨今の日本でヘイトスピーチが注目を集める中、議会での野次の“品位”が問題にされたことは、改めてこの問題に目を向ける契機になるかもしれない。

このように、一口に「セクハラ野次問題」といっても様々な問題をはらんでいる。鈴木議員が特定されたことを契機として、問題が矮小化せずに、より広範な議論に及んでいくことが望ましいだろう。