石田 健

石田 健

株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。1989年生まれ、早稲田大学政治学研究科修士課程修了(政治学)。 株式会社マイナースタジオを創業後に、同社を株式会社メンバーズ(東証二部)に売却。Twitter : @ishiken_bot

生活保護の問題がクローズアップされるとともに、その受給者の中にアルコール依存症患者やパチンコ依存症患者がいることにも注目が集まっている。(たとえば、「“自業自得”で支援を打ち切っていいのかアルコール依存症者の日常から探る生活保護の必要性」などに詳しい)「生活保護を受けているくせにパチンコに行く」、「人の金で良い暮らしをしている」。こうした批判は、自己責任論や不正受給の問題と絡めて、決して小さくない声であるように思われる。

こうした議論は、決して現代に限った話ではなく、長い歴史の中でアルコール中毒はしばしば大きな問題となってきた。しかしながら、それが「精神の弱さ」や「悪習」ではなく「病」であると認識されたのは、それほど古い話ではない。本稿では、近代におけるアルコール中毒の歴史を簡単に振り返り、この問題を考えてみたい。1

描かれたアルコール中毒

19世紀のフランスにおいて、アルコール中毒は大きな社会問題として知られていた。『アブサン』と呼ばれる薬草系リキュールは、安価でありながらも高い度数を誇っており、貧しい人々にとって強い人気を誇った。アブサンに魅了された芸術家は数多く、詩人ヴェルレーヌや画家トゥールーズ=ロートレック、ゴッホなどが知られている。

しかし、芸術家にとってのアブサンは、楽しむものである以上に、それがもたらす社会の風景こそが関心の的であった。数多くの画家、特にマネやドガなど印象派の巨匠たちは、アブサンに溺れていく社会の人々を鋭い視点とともに描いた。

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エドガー・ドガ『アプサントを飲む人(カフェにて)』| atokore[アトコレ]

エドガー・ドガは、1876年にカフェの風景を描いている。朝食の時間でありながらも、虚ろな目をしつつアブサンを飲むのは女優エレン・アンドレであり、当時のフランスの風景を見事に描写している。

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エドゥアール・マネ『アプサントを飲む男』| atokore [アトコレ]

同様に、マネも1858から1859年において、ルーブル近辺に出没していた路上生活者がアブサンを飲んでいる姿を描いている。ドガとマネの作品は、描かれた当時は露骨に社会問題を描いていることへの嫌悪感から強い非難を浴びたが、これらが19世紀パリの風景を的確に表していることを示している。

アルコール中毒は大きな社会問題となりつつあったが、フランス政府はアブサンから得られる莫大な税金と大衆からの支持を背景として、禁止をするには至らなかった。ついにアブサンが禁止されたのは1915年であり、すでに第一次世界大戦の時期であった。(ちなみにこの法律が撤廃されたのは、2010年でありわずか3年前なのだ!)

 「悪習」、そして「飲酒癖」

この問題が肥大化する中、アルコール中毒が医学的見地と結び付けられるには時間がかかった。アルコールという単語が一般的に認識されたのは、18世紀後半であったが、それが「中毒」という単語と結びつくには50年ほど近い時間がかかる。

1840年代に「alcoolisme(アルコール中毒)」という言葉が誕生したが、それまでは専ら「飲酒癖」や「悪習」という単語として認識されていた。たとえば、H・フレジエは1840年に記された『大都市の住民のなかの危険な階級、及びその状態改善の方策について』2の中で、飲酒癖について給料の浪費を引き起こし、妻子を傷つける「悪習」として述べている。

アルコール中毒が、「飲酒癖」として認識されていることには、2つの側面を見て取ることが可能だろう。1つは、これが伝統や習慣といったものと結び付けられており、それほど深刻視されていない点である。もちろん、悪習であり限り、それは改善されるべきものであるが、一方で「隔離し、治癒する」といった近代的な病理学とは切り離されている点には注目できる。

しかし、一方では、近代的な枠組みとして考えた時、こうした問題が病として扱われていないことで、その改善が「自助努力」に求められる点も指摘できる。この観念は、飲酒癖は「自堕落的」であり、欲望に屈する弱い人間であるというイメージと表裏一体なのである。

「病」としてのアルコール中毒

19世紀終盤にいたり、社会問題をより病理学的に捉える見方が盛んになるにつれて、アルコール中毒に対する眼差しも変化していく。それは単なる道徳的非難の枠組みを超えて、麻薬中毒のような依存現象への分析がされ始めたのだ。

しかし、ここで「病」として理解されるアルコール中毒であっても、そこには未だ2つの意味が存在することに留意できる。1つは、「社会的病理」としてのアルコール中毒であり、もう1つは個人の「アルコール依存症」としてのそれである。
前者は、これまで見てきたようにアルコール中毒が社会的な問題としてクローズアップされてきた経緯と大いに関係している。アルコールが引き起こす家族の問題、教育の問題、貧困の問題は、近代化が進むに連れて国家が介入を強めていくこととなった。社会の抱える問題を解決する役割を持つ国家は、アルコールが社会全体の「効率」や「健全性」を損ねることを無視しなっかったのである。そして後者は、現代の私たちが考えるアルコールの問題である。

このように見ていくと、アルコール中毒が「個人の依存症」として問題化された歴史は決して長くないことがわかる。それは「病」というよりも「習慣」であり、19世紀終盤以降も、個人の病理としてばかりではなく、社会全体の病理として捉えられることも多かったのだ。

おわりに

こうした歴史から、わたしたちは何を学ぶことができるだろうか?1つは、アルコール中毒という問題が複雑な歴史を持っているということである。この時には道徳的非難をあび、時には病理として捉えられてきた現象は、それ自体は長い歴史を持っていながらも、個人の治癒すべき問題であるという認識が抱かれてからあまり時間が経っていないのだ。

その意味で、もう1つのポイントは、この問題における認識の変化には長い時間がかかるということだろう。アルコール中毒に対する認識も制度も、現在のところ、それは不安定な位置にあると言える。そのことは、わたしたちがこの問題の答えを用意に導出できないことを示唆しているのである。

Via: Photo courtesy of Flickr user Jes under a Creative Commons license.
  1. この問題(特に19世紀フランスを中心として)については、ジャン=シャルル スールニア『アルコール中毒の歴史』法政大学出版局、1996年や、喜安朗「『アルコール中毒症』の出現」『現代思想』青土社、1982年10月号などが詳しい []
  2. Honoré Antoine Frégier, Des classes dangereuses de la population dans les grandes villes, et des moyens de les rendre meilleures, Paris, Chez J.-B. Baillière, 1840 []