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本因坊秀策の生誕から185周年、その無敵の人生とは?

今日6月6日は、江戸時代後期の1829年に本因坊秀策(ほんいんぼう しゅうさく)が誕生してから185年となる。Googleのトップもこれにあわせて、ロゴが囲碁仕様へと変更されている。記念日にあわせてロゴが変わる「Doodle」によるものだ。

人気漫画『ヒカルの碁』でもその名が登場している本因坊秀策だが、その生涯はどのようなものだったのだろうか?

その生涯は?

現在の広島県尾道に生まれた秀策は、わずか8歳で本因坊丈和に入門してすぐさま頭角を現す。17歳の時には、すでに著名な井上幻庵因碩と対局して、幻庵がすぐにその実力を見抜いたことでも知られている。中でも、この対局の1つは「耳赤の一局」として語り継がれる名勝負であり、前述の人気漫画『ヒカルの碁』にも登場した。

本因坊の名を継いでから「19戦19勝無敗」という大記録を打ち立てたという伝説が残っており、本因坊道策(前聖)と並んで棋聖・碁聖(後聖)と称される。特に明治以降からはその評判がより高まることとなり、「秀策流」と呼ばれる布石は現在でもよく知られている。

人格者としても評価

また、秀策は人格者としても評判を得ており、江戸でコレラが流行った際には積極的に患者の看病に当たった。しかし、自身がコレラに感染してしまったことからわずか35歳(コメントでご指摘いただいたように、秀策は1862年9月3日に亡くなっており、満33歳の誤りです。お詫びして訂正致します。)でなくなってしまい、その早逝がますます秀策の評判を高める要因になった。

実際に、秀策は名人になったことも無いために、その実力を疑問視する声もあるが、それでも400局もの棋譜が秀策によるものとして伝えられていることから、希代の棋士であったことは疑いがないようで、現在でも高い人気を誇っている。

 

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10件のコメントがあります

  1. 江戸時代は「数え年」という方法で、生まれた年が1歳、1月1日になればみんな1歳年をとるという制度でした。だから12月31日生まれでも、次の日には2歳なんですよ。今の満年齢の方法とは数え方が違うのです。

  2. 名人になってないから実力を疑問視する声もあると書いてあるけど、
    そもそも師匠の秀和が名人襲位運動中に秀策は死んじゃってるので
    物理的に名人になりようがない。
    あと、名人になるは自分以外の人間にはっきり差をつけなくてははいけないが、この時代は非常に層が厚かったので逆に名人になりにくかった。実際秀策と互角と言われる秀和、秀甫(弟弟子)も名人になっていない。

  3. 数え年の補足ですが、亡くなった年齢は、享年を用いるので、数えで34歳であったとしても、35歳となります。
    今の満年齢60歳で亡くなったとしたら、享年は62歳です。

  4. >aさん
    亡くなられたのは誕生日を過ぎた後なので35歳はおかしいです。
    満と数え年で享年が2つずれるのは誕生日を向えていない時ではないんですか?

    あと、それ以前に幻庵因碩との対局時の年齢を満の17歳と記載があるので、どちらにしても享年を数えで書くのはおかしいと思います。

  5. 囲碁詳しくないけど、ヒカルの碁を読んでたから
    この人だけは分かる。同じ人多いんじゃないかな?